うつの波に乗って

~ うつ病になって思ったこと、克服を目指すうつコラム ~

うつ病に接する

身近に、特に家族にうつ病の人がいる人にとっては、どのように接したらいいのか、悩む事と思います。
健康な人が知識がない状態で接すると、「うつ病の人は理解不能な事ばかり言う」と感じるでしょうし、
ひたすら怠惰な状態に見えるのではないかと思います。
しかし、うつ病を少し勉強して知識を増やしてみても、接し方として覚える事って

うつ病の人に対して「叱咤激励をしてはいけない」
「がんばって」とか「早く元気になって」とか励ましの言葉は言ってはいけない
「甘い!気合で乗り切れ!」とか「気の持ちようだ!」みたいな事も言ってはいけない
そんなもんじゃないでしょうか?間違ってはいないと思います。
うつ病の人にとっては、「がんばれ」と言われると、
「わかってるよ、がんばっているよ、がんばってもダメなんだよ」って気になるし、
「気の持ちようだ!」なんて言われれば、
「何もわかっちゃいない。」って事になるんで。
 
でもそれは健康な周りの人にとっては、「言いたい事は言ってはいけない事。」になるんですよね
 
それと個人的な意見なんですけど、
「がんばれ」って言葉は、手出しの出来ない場合に使う言葉だと思うんです。
どういう事かと言いますと、スポーツ選手が必死でがんばっている時、見ているほうは手伝えません。手出しができないんですよ、フィールドの中だし、 手を出したら失格ってことになるし。鹿の赤ちゃんが立ち上がろうとしている時とかね、これも同じく手を出したらいけません。
そんな感じで、「がんばれ」って言葉は「何もしてあげられません」の言い換えのような気がするんです。
だから、うつ病の人に「がんばれ」って言うと、「こっちは知りません、そちらでやってください」にも聞こえるのではないかと。
 
結局のところ、どうなるかと言うと、おそらく、
周りの人は腫れ物を触るように扱い、顔色を伺いながら当たり障りのない話しをし、陰気な空気が伝染しないようにする、 みたいな状態となり、
うつ病の人にとっては、何か言いたそうな顔の人たちから、ひたすら気を使われながら時を過ごすこととなるのではないかと。
 
じゃあ、どんな風に接したらいいのだろうか?
実体験から思った事を書いてみたいと思います。

~独り言~

死は自分が選択できるものだろうか。
右手に「生」、左手に「死」
どちらを選ぼうが自分の勝手なのだろうか。
そのうちきっと自分で生死を選ぶことなんてできなくなるはず。
生死は手の中で転がっているものではなくて、
見上げると遥か上のほうに、手の届かないところにあるもののような気がする。
 
今、自分が手にしているのは「生」。
自分のものではあるが、自分でどうにかできるものでもない。
「死」は「生」の次のハードル。
「生」を乗り越えられない者が「死」を乗り越えられのだろうか。
 
「死」から生還したものはいない。
誰も知らない世界。
現世の理論と常識からしか推測できないもの。
 
死ねば全てが終わるという保障があるのだろうか。
死後の世界が今の世界より辛かったらどうするのか?
誰かそれを証明してくれる人なり事実があるのだろうか?
 
もし、南極という場所の知識が全くなく、予想も出来ない場所であったら、
「北は寒いから南極に行きたい。」と言い出す人がいるかもしれない。
「辛いから死にたい。」も同じレベルの話しかもしれない。

普通の会話をしているかのように会話する

健康な人にとっては、うつ病の人の言うことなんて馬鹿げた話しに聞こえたり、
会話するに値する内容の事じゃないように感じるのではないかと思うのです。
 
例えば、うつ病の人が「死にたい」と言ったとします。
健康な心を持った人であれば、そんな事を言われれば、
「何バカなこと言ってんだ」になったり、「そんな事言わないでよ」とか、 「生きたくても生きれない人もいるんだ」みたいな返答になるでしょうし、
何度も言われたら、「いい加減にしろ!」って感じになるでしょう、きっと。
でもそれって会話じゃないんですよね。
そう言われたら三言目が出てこない、二言目で終わってしまうのです。
「あぁ、やっぱり理解されないんだ」と、ますます暗闇に落ちていきます。
 
じゃあ、もし、「死にたい」じゃなくて、「ポテチ食べたい」って言われたらどうでしょう?
「あぁ、おいしいよね、買ってきてあげようか?」になるかもしれないし、 普段食べない人だったら、「なんで?突然どうしたの?」になるかもしれないし、 「何味がいい?」になるかもしれないし、
とにかく、さらに次の言葉が待たれる、三言目、四言目が存在する会話になると思います。
 
「死にたい」と言われたら、「何で?」でもいいし、
「何が解決されれば死なずに済む?」でもいいし、
うつ病の人の言う「会話に値しないようなバカな話し」であっても、
まるで普通の会話をしているかのように会話するのがいいのではないかと思っているのです。
でも、あからさまに上辺だけの会話じゃダメなんです。
小馬鹿にした内容の会話でもダメなんです。
言っているこ事を否定する議論でもダメなんです。
異星人と話しをしているような「は?」感が出てもダメなんです。
そこにはやっぱり、「まるで普通の会話をしているかのような会話」が必要なんです。
そうして会話が成立することで、うつ病の人は「あぁ、話しを聞いてくれている」と感じ、
考え方が柔軟になったり、何かに気付いたりすることもあるのではないかと思ってます。
 
少なくても、馬鹿げた話しをバカにして溝を深めるよりはいいのではないかと思います。


自責思考型うつ病と他責思考型うつ病

うつ病になると、なぜかうつ病の人の知り合いが増えたりします。
そういった人たちと話しをしていくうちに、2種類のウツ病の種類があると思いました。
簡単に特徴をあげてみると、
 
自責思考型うつ病~全ては自分の責任。口癖は「本当に申し訳ない」
他責思考型うつ病~自分は何も悪くない。口癖は「俺が(私が)何をした?」
 
自責思考型うつ病~うつ病であることを隠す。(自分に非があると思っているから)
他責思考型うつ病~うつ病をカミングアウトする。(自分は被害者だと思っているから)
 
あくまでも実体験からです。両方うつ病なんです。
うつ病としての症状にはあまり違いはなさそうで、苦しみます。
でも会話をする上で、どちらのタイプか理解してからでないと、 噛み合わない上に、感情を逆なでしかねません。
逆にそこいらへんを理解して会話するとうつ病の人の心が軽くなり、活動し始める可能性もあると思っています。
 
もうひとつ、

自責思考型うつ病~他人の不幸も自分の事のように悲しんでくれる。
他責思考型うつ病~自己中なんでそんなことはない。自分の話しばっかりしてる。