「はじめに」~「うつと薬」まで、ずいぶん身勝手にうつ病について書いてしまいました。
おそらく、うつ病患者の中でも相当ひねくれた部類に入るのではなかろうかと思いました。
そういう人が考える、「うつ病の改善」の方法なんて参考になるのでしょうか?
ならない気がします。
でも、まぁ、こんな人もいるんだな、くらいに思って頂ければと思います。
~独り言~
君はうつ病のカエルくん
「井の中の蛙」といってバカにするやつもいるけれど
君は、空の高さは知っている
いいところだけを見よう
すべてが完璧である必要なんてない
水面に顔を出したカエルくん
何を探しているのか 何を求めているのか
自分でもわからないんだよね
だけど、何かが必要なんだよね
そんなとき、遠くの岸辺なんて見なくてもいいんだよ
大地の上でぴょんぴょん跳ねる姿はしばらく忘れよう
もっと、近くを見るといいさ
何にもなさそうな水面だけど
ぷかぷか浮かぶ小枝でも探してみよう
小枝を見つけたら 思い切ってしがみついてごらん
チカラを入れなくても浮かんでいることに気がつくよ
そしたら、陽の光を浴びながら うとうとでもすればいいさ
そよ風が岸辺まで運んでくれるかもしれないよ
「あきらめる」
自分はこの一言に尽きますね。それで終わってしまいます。
でも、この「あきらめる」がかなりの難しさなんです。
「もーあきらめた!」と口に出して言うだけではなく、心の底から諦めなきゃいけないんです。
あきらめちゃダメだ、あきらめなければ道は開ける、そんな言葉があふれています
そんな世間の常識みたいなものに負けて病んでしまったのですから、迷惑な言葉でしかありません
自分もうつ病になった当初は、こんな病気になんて負けたくないと思いました。
悔しくて、これを乗り越えたら、またスケールアップした自分に会えるんだと思い聞かせ、必死で闘いました。
でも、もがけばもがくほど、このうつ病ってものは力を付けて襲ってきました。
そして徐々に力を失くしていき、もう諦めるしかないのかなと思い始めました。
この諦めを悟った時には絶望しました。
しかし心は少し軽くなり、うつ病も少しだけ良くなってきました。
例えるなら、もし、うつ病前には時給5000円稼ぐ人材だったとしたら、もう時給1000円しか稼げない人材となったと諦めるんです。
これがなかなかできないわけなんです。自分の立ち位置は維持したいと望むのですよ。
せめて時給3000円くらいの人材ではあるだろうと思いたいわけなんですよね。そんな感じなんですよ、実際は。
そこを本気で時給1000円しか稼げないんだと実感し、諦められると楽になるんですよね。
その他にも諦めはたくさんあります。
「うつ病が完治するのを諦める」とか。
決して治したくないということではないんですよね。
うつ病を完治させてまたバリバリ働きたい、ではなくて、
うつ病でも何とかやっていけるようになろうと、そういう諦めです。
そして諦めると、必死こいて病院に行こうという気もなくなりますし、
飲むと具合の悪くなる抗うつ剤を山ほど飲むこともバカらしくなってきます。
抗うつ剤を飲むのを止めるのは悪くないことだと思ってます。
抗うつ剤を飲んでぐちゃぐちゃになってる精神状態では、
一体今、自分の精神状態は本当はどのくらいものなんだろうと判断できないと思うからです。
実際、自分も抗うつ剤を飲むのは勝手に止めてしまいました。
それでも苦しいときがあったので、その時には頓服のように処方される抗不安剤を飲んでいました。
それは何日にも渡る事はありましたが、ある程度飲んだら止めるようにしていました。
自分はそんなもんでいいと思ってます。
なにせ、完治するのを諦めちゃうのですから。
それでもそのほうが何となく日々を乗り越えられました。
生きるのを諦めようと、さらに諦めることもあります。
そう考えると逆に今生きているのはもうお釣りの人生で、儲けもんくらいに思えたりします。
諦めると、人と比較することも少なくなってきます。
絶望や不幸感は他と比較する事で生まれてきます。
夕焼け雲、風に揺れる木々、川の流れ、そういったものがまだ見れる自分が有難く思えてきたりもします。
ありがちですが、今日を生きている、それだけで幸せだと思えるようになったら、それでいいのではないかと、
そんな感じです。
~独り言~
人生が海なら僕らは海に投げられた1つの石。
荒波に揉まれれば、いつまでもきれいな石ではいられない。
海藻がついて、フジツボがいつのまにか体について。
でもそのおかげで流されなかったり、
どっかに引っかかって落ち着けたりしてる。
捨てられそうになかったものを捨ててみたら、
平和な入り江に辿り着くこともありますよ。